明治維新の風景
鹿児島市城山町の銅像
東京上野公園の銅像
溝辺町西郷公園の銅像
西郷隆盛の三つの銅像
甲突川河畔に立つ大久保利通像
西鹿児島駅前の若き薩摩の群像
西郷隆盛
大久保利通
大山 巌
井上良馨
村田新八
東郷平八郎
多賀山の銅像
篠原國幹
吉井良実
関 勇助 
私学校跡
西南の役弾痕跡
西郷洞窟
西郷終焉の地
南州墓地
そして忘れてならないのが
薩摩で維新をはぐくみ導いた人たち
維新前後ににかかわった薩摩の人たち
28代藩主 島津斉彬候
照国神社の御祭神 いずれも境内 探勝園
島津久光候
斉彬と異母兄弟 お由羅の子
29代藩主 島津忠義候
久光の長男
小松帯刀

加治屋町にある西郷と大久保の誕生地の碑は同じような形状をしており,どちらが西郷でどちらが大久保かわからないでいた。更によく見てみると誕生の日付が違うだけで,碑文,建立の趣旨,共建者,建立年月日などが同じであることに気づいた。

鹿児島では西郷は敬愛されているが,西南の役で官軍の大久保をはじめ黒田清隆,川路利良等はよくは言われていない。ことに大久保が暗殺されたときは,真偽の程はわからないが赤飯を炊いたという話があるくらいだ。にもかかわらず,西南の役12年後の明治22年2月西郷らに対する大赦令の発布と期を失せずして,官軍の首領大久保と薩軍の首領西郷と相い戦った者同氏の碑が同年3月に建てられている。そして両方の共建者の中に西郷の弟従道,従弟大山,遺族の菊次郎,午次郎,寅太郎,大久保の遺族の利和,牧野伸顕が名を連らねていることの驚きである。当時の首相は黒田清輝,海軍大臣は西郷従道であったことを思へば理解できないこともない。しかし,その思うところは,黒田は後ろめたさがあったろうし,従道は兄隆盛の賊軍の汚名が払われたという思いがあったのではと。そして,建立の趣旨には,後世の者がここに立ったとき発奮することを期待するというようなことが書かれている。

 西南の役後僅か12年の歳月しか経っておらず,未だ両者にかかわりのあった者達が多く生存している中で,維新の中心人物を演じた西郷と大久保の子孫や薩摩を二分して戦った敵味方が相和して両者の誕生地に碑という形で建立するとはなんと薩摩人の心の広さと寛容さに驚嘆させられた次第である。しからば,西南の役とはいったい何であったのだろうと思わずにはいられないのである。


ひとりごと
(作 安藤照  台石とも8m)
(作 高村光雲)